笹船



 ある晴れた秋の日のこと。
 辺りが夕陽に赤く染まろうとしていた頃。近くに病院の見える川辺に、二人の子どもが腰を落としていた。短パンを穿いた男の子と、ワンピースを着た女の子。歳は七つか八つほどに見える。
 一匹のメダカが、緩やかに流れる水の中を、流れに逆らいながら泳いでいる。女の子が小さな指を川の中へ突っ込み、メダカの背をちょいちょいと突く。驚いたメダカはより深い場所へと潜り、地上の怪物の指から逃れた。それを見た女の子がきゃっきゃっと騒ぐ。
「ほら、はやくうかべようよ」
 男の子が、女の子の肩を右手で小突いて急かす。彼の左手には不格好で薄茶色の笹舟が乗っていた。
「うん、そうしようか。ちょっとまって」
 そう言って、女の子は足もとに置いてあった、整った笹舟を手に取った。まだ青々とした色の笹で作られたそれを。
「じゃ、いくよ」
「うん。せー、の!」
 女の子の合図とともに、二人はそれぞれの笹舟を川に浮かべた。二つの笹舟は仲良さ気に寄り添いながら、流れに乗り、ゆるゆると川を下って行く。男の子と女の子は「がんばれー、がんばれー」と叫びながら、それを目で追う。そこへ、一人の女性が現れた。彼女は長い髪をかきあげ、声を上げる。
「コウ、そこにいたの? 勝手に外まで行っちゃ、ダメじゃないの! ……お薬もらったから帰るわよ」
「あ、おかあさん。ちょっとまって! いま、おともだちとおふねうかべてるの」
「何言ってるの? コウしかいないじゃない。もう一人で川へなんか行っちゃダメよ」
「えー」
 男の子は驚いて左右を見渡した。女の子など、どこにもいない。もう笹舟も見えない。不思議に思いながらも、彼は仕方なく立ち上がって、母親の手を握り、二人はそのまま歩き去って行った。

 その日の夜、川下で一匹のメダカが死んでいた。腹を上にして、水草に引っ掛かったその体には傷一つない。ただ、薄茶色の笹舟だけが引っ掛かっていた。
 ――その遥か先を、緑の笹舟が流れていた。


【了】



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